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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)6924号 判決 1975年9月19日

原告(反訴被告)

石井阿き子

外三名

右四名訴訟代理人

北島正俊

被告(反訴原告)

角田長興

右訴訟代理人

小川喜久夫

主文

反訴被告らは反訴原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して別紙物件目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、連帯して、昭和四九年八月一日から明渡済みまで一ケ月金九六〇〇円の割合による金員の支払をせよ。

反訴被告らは反訴原告に対し、連帯して、金二五万九三二五円およびこれに対する昭和四九年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

本訴原告らの請求は棄却する。

訴訟費用は、本訴反訴を通じ、すべて原告(反訴被告)らの負担とする。

本判決第二項は確定前に執行できる。

事実

原告(兼反訴被告、以下単に原告という。)ら訴訟代理人は、本訴につき「被告(兼反訴原告、以下単に被告という。)は原告らに対し、原告らが別紙物件目録(一)記載の土地に対して、賃貸人を被告、賃借期間昭和四二年一月一日以降三〇年間、賃料一ケ月金一三四四円、毎月未日限り持参払いの普通建物所有を目的とする賃借権を有することを確認する。予備的に、原告らが右土地につき、賃貸人を被告、転貸人を訴外高橋慶一、原告らを転借人、転貸借の期間は昭和二六年五月一二日以降三〇年間、転借料一ケ月につき金二五〇〇円、毎月末日限り転貸人に持参払いの普通建物所有の転借権を有することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を、反訴につき、請求棄却・訴訟費用反訴原告負担の判決を求め、本訴請求の原因として

一、被告は別紙物件目録(一)記載の土地(本件土地)の所有者である。

二、訴外亡石井晃は、昭和四一年一二月頃被告から本件土地を建物所有を目的として昭和四二年一月一日以降賃料一ケ月につき金一三四四円、毎月末日限り持参払いの約定で賃借することになつた。

三、かりに、右賃貸借が認められないとしても、右亡石井晃は、昭和二六年五月一二日、本件土地につき転借権を取得したものである。すなわち、その頃、被告から本件土地を含む六四坪の土地を賃借していた訴外高橋慶一は、本件土地上に別紙物件目録(二)記載の建物(本件建物)を所有していたが、右亡石井晃は、前同日本件建物の譲渡を受けると同時に、本件土地を本件建物の敷地として転借し、この転貸借については被告の承諾があつたものである。

四、かりに、右承諾が認められないとしても、右亡石井晃は、転借権を時効取得したものである。すなわち、亡晃は昭和二六年五月一二日本件建物を訴外高橋慶一から譲り受けて以来、平穏公然に本件土地の転借による占有をして来たが、右占有を始めるに当つて善意無過失であつたので、一〇年を経過した昭和三六年五月一二日時効が完成したものである。かりに、右につきなんらかの過失があつたとしても、二〇年を経過した昭和四六年五月一二日時効が完成したものである。よつてこれを援用する。

五、右の賃借権ないし転借権の存続期間はいずれも三〇年である。

六、右石井晃は昭和四四年一一月九日死亡したので、原告石井阿き子は妻として、その他の原告らは子として本件建物の所有権を相続すると共に、本件土地の賃借人としての地位を相続した。

七、然るに被告らは原告らの権利を認めないので、主位的には賃借権に基づき、予備的には転借権に基づいて、被告に対し、権利の確認を求める。

と述べ、被告主張事実(反訴請求原因を兼ねる)に対して、「第一項ないし第三項は不知。第四項中、賃料支払に関する部分は認め、その余は否認。第五項中、原告らが夜だけ寝泊りするとの点は否認、その余は不知。第六項は認めるが、被告に初めて事情が判明したとの点は否認する。第七項は争う。」と答え、占有権原として第二項ないし第七項のとおり主張し、事情として

八、亡石井晃は、昭和二六年当時従業員の一人本田某が住居に困つて捜して来た本件建物を同人に使用させるため購入したもので、代金も全額負担したものである。その後四年間は右本田が使用し、一時石井晃の親戚が使用した後、昭和三一年一一月原告石井春夫・同享子結婚以来は右両名が居住して今日に至つている。

九、被告は、訴外高橋慶一からの賃料受領に際し、石井晃あるいは原告らが右慶一から転借している事情を了知した上、本件土地に対する分を含めて六四坪の賃料を受領して来たものであるが、右転借料は、3.3平方メートル当り当初は一三円、その後一六円(昭和三三年一月から)、二六円(同三六年一月から)、三六円(同三九年一月から)、五六円(同四一年一月から)、一〇〇円(同四二年一月から)と改訂され、石井晃あるいはその代理人として原告石井春夫が高橋慶一あるいはその代理人である高橋たかに支払つて来たものである。

一〇、昭和四一年一二月頃、石井晃は高橋慶一を通じ、また直接にも、被告と本件土地直接賃貸の交渉をし、結局権利金の額については合意が成立しなかつたが、被告は石井晃に高橋からの転借料と同じ賃料で賃貸すること自体は承諾したものである。

と付陳し、被告の抗弁事実(第八項ないし第一〇項)を否認した。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、本訴請求原因に対し、「第一項は認める。第二項ないし第四項は否認する。第五項は不知。」と答え、被告事実主張として、また反訴請求原因として、

一、被告所有の目黒区本町一丁目五七〇番一の土地のうち、本件土地を含む六四坪は戦前から訴外水越良子に賃貸してあり、同人は右地上に工場を建築所有していた。また、右五七〇番一の土地のうち右六四坪に隣る九八坪は戦前から訴外小高賢治郎に賃貸し、同人は右地上に建築所有する建物を訴外高橋たかに賃貸していた。

二、昭和二〇年五月、付近一帯は空襲で全焼し、水越良子は疎開した。高橋たかは、水越の借地である六四坪の土地に防空壕を造つて居住し、占有を始めた。同年九月高橋たかの長男慶一が復員し、右防空壕に居住していたが、昭和二二年秋の台風後、防空壕舎を解体して、地表に移築した。これが本件土地上の本件建物である。

三、当時被告が年少のため、代つてその財産を管理していた母角田愛子は、昭和二四年六四坪の土地の占有状況を知つたが、高橋慶一に懇願されて、水越良子が上京して借地権を主張した場合は明渡すことを条件に六四坪の使用を高橋慶一に認め、水越良子名義で賃料を領収し、この状態は被告自身が財産を管理するに至つた昭和三八年まで続いた。

四、これより先、昭和二六年四月、慶一は右六四坪中、本件土地の北側部分に建坪一四坪の家屋を新築したが、その建築費の一部にあてるため、同年五月一二日本件建物を妹の知人である訴外本田某に譲渡した。本田は購入資金を訴外石井晃から借りた関係から、晃宛の領収書(甲第一号証)の作成を慶一に求め、慶一はこれを作成した。その後本田は本件建物に居住し、慶一の新築家屋の敷地が約三九坪、本件建物の敷地が本件土地約二五坪と区分されたが、本件土地の賃料分相当額は慶一が本田から受領し、自己の使用する三九坪分と併せ六四坪の賃料として被告方に持参し、また慶一は被告の母に本件建物は知人に貸してあると話していた。

五、高橋慶一は昭和三〇年頃前記一四坪の建物を同居の末弟利幸に贈与して移転し、また、昭和三一年には本田が本件建物から転居し、昭和三二年頃から本件原告石井春夫・同享子の夫妻が夜だけ寝泊りするようになつた。しかし、右高橋利幸は、右贈与および本件建物譲渡の事実を秘し、賃料は依然一括して六四坪として払つていた。

六、石井晃は昭和四〇年頃になつて高橋慶一に対し、本件建物を他に譲渡したいから賃貸人である被告に本件土地の借地権を認めさせるよう要求し、このことを契機として、以上の経緯が被告に判明するに至つた。被告は結局、高橋利幸使用にかかる三九坪については権利金名下に六五万円を受領して借地権を認めたが、残る本件土地二五坪については、慶一との間で賃貸借を合意解約したものの、晃との賃貸借は晃に権利金支払の意図がないため話合いが成立せぬまま今日に至つたが、元来防空壕だつた建物であるから、既に朽廃しており、現在は人が居住せぬ廃屋となつている。

七、以上の次第で、原告らが本件建物を共有して本件土地を共同占有しているのは権原に基かないものであるから、被告は本件土地所有権に基づいてその明渡を求め、また、不法占有により、賃料相当の損害として

(一)  昭和四六年八月一日から同年一二月末日まで  金一万八一二五円(月金三六二五円)

(二)  同四七年一月一日から同年一二月末日まで  金五万八八〇〇円(月金四九〇〇円)

(三)  同四八年一月一日から同四九年七月末日まで  金一八万二四〇〇円(月金九六〇〇円)

(四)  昭和四九年八月一日から本件建物収去まで  一ケ月金九六〇〇円の割合の損害を被つているので、(一)ないし(三)の合計金二五万九三二五円および昭和四九年八月一日以降本件土地明渡まで一ケ月金九六〇〇円の割合による金員の支払を求めるため、反訴請求に及ぶ。

と述べ、なお、第八項以下の原告主張事実を争い、転借料については不知を以て答えた上、転借権時効取得の主張に対する抗弁として、

八、前記第四項の甲第一号証作成の経過からも明らかなように、訴外亡石井晃は本件土地の所有者が被告であつて、高橋慶一はこれを賃借しているに過ぎないことを承知していたのであるから、悪意を以て、少なくとも善意であることにつき過失を以て本件土地の占有を開始したものであるから、一〇年の取得時効は成立しない。

九、次に、時効取得のためには「自己ノ為メニスル意思」を必要とするところ、前記第六項のとおり訴外高橋慶一と被告とは六四坪中本件土地部分について賃貸借を合意解約したので、晃の本件土地占有は、賃貸人の承諾のない転借権に基づく占有から不法占有にと占有の性質が変化したもので、右は時効中断の効力があるから、時効期間は昭和四二年から新たに進行すると解すべきである。

一〇、かりに右主張が理由がないとしても、晃は昭和四一年から昭和四三年頃までの間に被告に対して転借権を有しないことを承認したものである。すなわち、昭和四一年頃の調停申立も、昭和四三年頃の権利金についての交渉も、転借権を有しないことを前提としているからである。故に、原告主張の取得時効は、右承認によつて中断したものである。

と述べた。

当事者双方の立証および書証たる文書の成立に関する陳述は、本件訴訟記録中証拠目録欄記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一まず、本訴について判断する。被告が本件土地を所有することは当事者間に争いがない。次に、訴外亡石井晃が、昭和四一年一二月頃被告から本件土地を直接賃借したとの原告主張は、原告石井春夫のこれに副う供述、すなわち、同原告の亡父晃と被告との交渉において、話合いが結局纒らなかつたのは権利金についてであつて賃貸借自体については了解がついていたと思われる旨の供述はあるが、被告本人の供述から窺える、何百人もの借地人を相手とする広大な所有地の管理上の、無断入居者に対する強い警戒の態度と、右供述および証人高橋慶一の証言ならびに被告本人供述を認めうる乙第二号ないし第四号各証を総合して認められる、本件土地に隣る三九坪地は高橋慶一の弟である高橋利幸に対して権利金六五万円を徴して借地権を認めるに至つた事実とに照すと、前記原告石井春夫の供述からは必ずしも原告主張を肯認しえず、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、右主張は失当である。

二そこで、進んで、昭和二六年五月一二日の転借につき被告の承諾があつたとの主張について見よう。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件土地を含む六四坪の土地は戦前訴外水越良子なる者が借地していたが、戦災で地上建物が焼失し、同人も疎開した後、その隣地の小高の借地上の建物に借家していた高橋たかの一家が壕舎住いをするようになり、たかの長男慶一は昭和二二年に壕舎を解体し、拡大して地上建物とした。これが本件建物である。

(二)  当時被告は年少で(昭和二一年七月家督相続した時三歳一〇月)、母愛子が代理して家産を管理していた。愛子は慶一に本件土地の借地人水越良子が要求したときは明渡すという条件を付けて事実上借地人としての地位を認め、ただし、水越良子名義で賃料を領収することとしたが、被告は、成年に達して自分で領収するようになつた昭和三八年以降高橋慶一名義で領収するようになつた。もちろん、その賃料は、水越良子が借地していた六四坪全部に対するものであつた。

(三)  ところで、遡つて昭和二六年五月頃、慶一は本件土地上、本件建物の北方に住居を新築し、その建築費にあてるため、同月一二日、本件建物を未登記のまま妹和子の友人の父である訴外本田某に一〇万三〇〇〇円で売却した。この本田某は原告らの亡父石井晃の従業員だつたものであつて、石井晃は本田のために右の一〇万余円を出捐したが、売買代金を本田に貸しつけるのではなく、自分の所有物として本件建物を購入し、それをいわば社宅として本田に貸すことにした。ただ、石井晃は直接高橋慶一にその旨交渉することはしなかつたので、本田は高橋慶一との間では、買い受けるのは自分であるが資金の金主が石井晃なる者であるので領収書は石井晃あてにして欲しいと頼み、高橋慶一はこれを信じて同月一二日甲第一号証を作成した。本田は一方石井晃との間では、自己の所有権を主張せず石井晃の代理人として本件建物を買い受けたもののように話したものと考えられる。

(四)  右甲第一号証には本件建物とその敷地(本件土地)二四坪の権利金として一〇万余円を領収したとの趣旨が記載されていたが、当事者間に借地権譲渡の意図がなかつたことは、その後も高橋が本件土地の分を含め、従来通り六四坪分の賃料を被告に支払いつづけたことで明らかであり、従つて、これは本件建物の新所有者への転借である。高橋慶一は被告にその旨承諾を求めなかつたので、本件建物には知人を借家させているように取り繕つていた。そして本田は、高橋慶一との間では転借している土地賃料として、石井晃との間では、土地賃料と同額の借家の賃料を石井晃に支払う代りに石井に代つて土地賃料を支払うという建て前で、高橋慶一への支払を続け、慶一はこれを収受して、本件土地と三九坪地とを合せた六四坪全部の借地人として従来どおり被告に土地賃料の支払をしていた。

(五)  やがて昭和三〇年には高橋慶一は結婚して他に転出し、昭和三一年には本田も他に移転したが、高橋慶一と被告との関係は従来どおりであつた。すなわち、慶一転出後は、老母たかと弟利幸が残つていたが、利幸は昭和四三年にはその家で結婚した。そして、本件土地に関しては、石井晃が高橋利幸に土地転借料を支払い、石井宛の領収証(甲第五号証)を作成せしめるようになつたが、被告に対する賃料支払は高橋利幸が依然高橋慶一名義で継続していたのであり、この状態は、昭和三七年石井晃が本件建物につき所有権保存登記をして後も変らなかつた。

(六)  昭和四〇年に至つて、石井晃は、高橋たかを訪ねて、自分の本件土地に対する借地権を被告に認めさせるか、それとも本件建物を買い取つて貰うかして欲しい、ということを申し入れ、たかから連絡を受けた慶一としては従来隠して来た石井晃や高橋利幸と六四坪の土地との関係を被告に打ち明けざるを得なくなつた。そして、被告との交渉の結果、権利金六五万円を支払うことで、三九坪地に関する高橋利幸への借地権譲渡を認めさせたが、残る本件土地については石井晃と被告との交渉に譲ることにした。石井晃は、その後、被告を訪問したり、調停を申し立てたりしたが、結局被告との間に契約を成立させることができず、昭和四二年分以降の賃料を供託している状態のまま、昭和四四年一一月死亡した。

三前節認定の経過からすると、亡石井晃が当初から本件土地を転借したとしても、被告がこの転借を承諾した形跡は全くないから、承諾ある転貸借との原告主張は失当である。

四進んで、原告の主張する転借権の時効取得について判断する。民法第一六三条の適用上、時効取得を主張する転借権者は、「転借権を自己の為めにする意思を以て平穏かつ公然に行使する者」であることを要するところ、建物所有を目的とする土地の転貸借が問題となる場合には、転借人はその土地上に自己の名義の建物を所有するに至つて初めて右の要件を充足するに至ると解すべきであると考える。けだし、もし、かように解しえないとした場合には、次のような事態が避けられないことになる。すなわち、甲の土地を賃借する乙が甲の承諾なく丙に転貸したとして、甲への発覚をおそれて地上建物を丙名義にしない以上、甲としては他に特段の事情がない限り、丙による土地占有の事情を確認する由なく、土地を占有するのは乙であると信じ、乙からの賃料を収受しているほかない筈であるが、このような土地所有者甲が、乙丙間では地上建物の所有権が丙に移転し、従つて土地は丙が占有していることになるという建前と乙丙間で転借料が授受されたという事実とが一〇年、二〇年継続したということだけで、一朝率然丙から転借権ないし賃借権の対抗を受けることになりかねないのである。しかし、本来、取得時効とは、占有者の長年月にわたる占有を保護する限度で、他人に所有物を占有されながら、打つべき手を打たず「権利の上に眠つていた」所有者から権利保護を剥奪する制度であるから、いくら一方に土地転借人の占有継続があつても、他方の土地所有者が少しも権利の上に眠つていないのに時効が成立すると解するのでは、制度の本旨を逸脱することになろう。土地所有者を権利の上に眠つた者と難ずるためには、実際に了知されたか否かは問わず、少なくとも転借人による土地占有が土地所有者に了知しえた状態が存するのでなければならず、これは、裏から言えば、転借人の土地占有は地上建物の所有名義が転借人の名義となつて初めて、土地所有者に対してその転借権の時効取得を云々しうるような公然の占有となることを意味する。およそ「他人の土地の用益がその他人の承諾のない転貸借に基づくものである場合においても、土地の継続的な用益という外形的事実が存在し、かつ、その用益が賃借の意思に基づくものであることが客観的に表現されているときは、その土地の賃借権ないし転借権を時効により取得することができる」旨の最高裁判例(昭和四四年七月八日、民集二三巻八号一三七四頁)の存することは当裁判所の熟知するところであるが、事案を異にし、本件に必ずしも適切でないと考えられるのみならず、一般論としても、右判例にいわゆる「客観的表現」の要件は先に述べた了知可能の状態、本件に即して言えば、地上建物の転借人名義を意味するものと解することができるから、右判決の存在は、以上判示のような法解釈を妨げるものではない。

以上のように解しうるとすれば、本件において亡石井晃が「転借権を自己の為めにする意思を以て平穏かつ公然に行使する」に至つたのは、甲第三号証によつて認められる本件保存登記の日である昭和三七年一二月二四日(なお、甲第四号証によつて家屋台帳への登録が同月一四日であつたと推認されることも参照)であるから、時効は右の時点から進行したと見るべきである。

五次に、民法第一六三条によつて引用される「前条ノ区別」すなわち、占有開始の際の善意無過失の要件について考えるに、まず被告は、亡晃が本件土地の所有者は被告であり、高橋慶一は賃借人に過ぎないことを承知していたから善意無過失ではないと論じているが、ここでの問題が転借権の時効取得である以上、右のような転貸借の当然の内容たる事情を了知したことが民法第一六二条第二項の善意無過失の対象となるとは解しえないから、右被告主張は失当であり、むしろ、占有開始当時、賃貸人である土地所有者の承諾がないことにつき了知していたか否かを問題にすべきであると考える。そして、前認定の経過から見て、亡晃が終始被告の承諾のない転貸借であることを心得ていたことは明らかであるから、時効期間は二〇年を以て論ずべきことになる。

六そうすると、第四節で示した起算点から二〇年、すなわち昭和五七年一二月二四日までは時効は完成していないこととなる。よつて、時効取得を理由とする転借権の主張は、これに対する被告のその余の主張につき判断するまでもなく、失当であり、原告の本訴請求は、結局、賃借権に基づくものも、転借権に基づくものも、理由がないことになる。

七そこで、進んで反訴について判断するに、以上判示したところから、本件土地につき亡石井晃には所有者である被告に対抗しうる占有権原があつたとは認められないところ、<証拠>により、原告らが本件土地上に本件建物を共有するのは亡晃の相続人としてであるから、原告らに対する被告の建物収去土地明渡の請求は理由ありとせねばならない。そして、昭和四六年分以降、原告らは賃料を供託していることは成立に争いない甲第七号各証で明らかであるが、前判示によつて原告らから被告に支払われるべきは賃料ではなく賃料相当の損害金であること明らかであるから、右供託は弁済の効力を生じないというべきであり、同年度以降の賃料相当の損害金の支払を求める被告の請求も理由がある。そして、<証拠>によれば、本件土地と同じ程度の賃料を相当とする近隣の借地賃料は、毎月昭和四六年度坪一四五円、同四七年度坪一九六円、同四八年度以降坪三八四円と認められるので、本件土地を二五坪として計算すれば、被告主張どおり、昭和四六年度は毎月三六二五円、同四七年度は毎月四九〇〇円、同四八年度以降は九六〇〇円となるから、同四六年八月以降同四九年七月までの合計二五万九三二五円と同年八月一日以降土地明渡済まで毎月九六〇〇円の割合の金員の支払を求める被告の請求のとおり認められることとなる。

八よつて、原告らの請求を棄却し、被告(反訴原告)の請求を認容し、訴訟費用は本訴反訴共敗訴の当事者である原告(反訴被告)らの負担とし、仮執行の宣言は金員支払の部分にのみ付することとして、主文のとおり判決する次第である。 (倉田卓次)

物件目録

(一)東京都目黒区目黒本町一丁目五七〇番

一、宅地 1901.95平方米

(別紙図面(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(チ)(ヘ)(ト)(イ)の各点を順次直線で結んだ部分)

のうち85.45平方米(25.85坪)

(別紙図面(リ)(ニ)(ホ)(チ)(リ)の各点を順次直線で結んだ部分)

(二)東京都目黒区目黒本町一丁目五七〇番地壱所在

家屋番号 五七〇番参

一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建 一棟

床面積 35.53平方米

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